保育器から出た

1984年9月9日。

すでに退院した妻は、水戸の実家から子供たちのいる友部の病院へ毎日通っていた。

自分で産んだ子供ながら、まだ家族一緒に暮らすことはできないのだ。

子供たちが入っていたガラスの保育器は、もう必要なくなっていた。

ただ、良平は肺が弱いらしく鼻には管が入っていた。

秀平↓

良平↓

子供たちを早く家に連れて帰りみんなで暮らしたいと願う妻。