2011-11-17 保育器から出た 1984年09月0歳1ヶ月 1984年9月9日。すでに退院した妻は、水戸の実家から子供たちのいる友部の病院へ毎日通っていた。自分で産んだ子供ながら、まだ家族一緒に暮らすことはできないのだ。子供たちが入っていたガラスの保育器は、もう必要なくなっていた。ただ、良平は肺が弱いらしく鼻には管が入っていた。秀平↓良平↓子供たちを早く家に連れて帰りみんなで暮らしたいと願う妻。