2011-11-01から1ヶ月間の記事一覧

はじめてのクリスマス

水戸の実家で迎えた初めてのクリスマス。生まれて4か月経ちました。秀平:左 良平:右妻に抱かれているのが秀平。水戸のおばあちゃんにだかれてるのが良平。

お食い初め

1984年12月20日。99歳の曽祖父に抱かれてお食い初めをする秀平。そして良平。この曽祖父は高校の元校長先生で僕の父も教え子だった。そして99歳ごろまで英語で詩を書いていた。書いたものを読まされるとその感想に困ってしまうんだけど。檜祖父…

水戸の実家ですくすくと育つ

1984年12月13日。いつものうつ伏せポーズで2ショット。右:秀平 左:良平お姉さんが編んでくれた手作りセーターでご機嫌な秀平。下半身日向ぼっこの良平。

双子の成長

1984年11月13日。双子の成長には不思議なことがよくある。寝返り、あくび、くしゃみなどのタイミングがほとんど一緒の時があるのだ。うつぶせのポーズの秀平:右 良平:左秀平↓良平↓

お宮参り

1984年11月3日。実家近くの磯前酒列神社にお宮参りに行く。この参道は長く、鳥居から境内まで5〜6分は歩くだろうか。右から妻の母、妻、僕の母。朝から妙なものを着せられて機嫌の悪い息子たち。右:秀平 左:良平

顔立ちがはっきりしてきた

1984年10月30日。秀平、良平は、うつぶせになるのが好きなようだ。仰向けで寝かせるよりもうつぶせのほうが機嫌がいい。そして、だんだん顔立ちがはっきりしてきた。僕を見る目もしっかりとしている。言葉をしゃべるのはまだ先のことだが、我が家では、僕の…

一緒にお風呂

1984年10月20日。お風呂にも慣れてきたようで妻は子供と一緒にお風呂に入っている。もちろん、妻の母がひとりずつ子供を引き上げて体を拭き、服を着せている。秀平↓ 良平↓ お風呂のあとはふたりともすやすや。右:秀平↓ 左:良平↓

抱っこはひとりずつ

1984年10月14日。双子はいっぺんに抱っこするわけにはいかないので、どちらかを妻が、どちらかを水戸の母が抱っこする。水戸の母には、ほんとうに感謝している。ただ、抱っこされていても、自分の母親のことは判っていたようで、妻の抱っこでないとむずかる…

実家の暮らしに慣れてきた

1984年10月12日。子供たちも、妻とおばあちゃんのいる実家暮らしに少しずつ慣れてきたようだ。しばらくの間、妻と子供たちは実家で暮らすことになった。東京へ連れて帰っても、昼間は僕は手伝うことができないし、仕事の関係で夜も遅い。そして、海外出張が1…

お風呂に入れる

1984年10月7日。40日の入院を終え、秀平、良平が水戸の妻の実家に戻ってきた。双子の赤ん坊の世話をするのに母親一人ではできないことがいくつかあるが、お風呂に入れるのは一人ではちょっとむずかしい。湯船で体を洗うのは妻。体を拭いて服を着せるのは実家…

目を開けてこっちを見ている

1984年9月30日。子供たちが入院して約40日。もうすぐ退院できそうだという。これで、やっと家族で暮らすことができる。秀平↓が、目を開けてこっちを見ている。このごろ、しっかりと見つめるようになった。良平↓は、今は眠っているが、時々ニヤッと笑たりする…

毎日の病院通い

9月22日。妻は水戸から子供たちのいる友部の病院に毎日通った。子供たちに飲ませる母乳を搾り、冷凍して病院に届けなけばならないからだ。ずっと一緒にいるわけではないので、母乳を直接与えることができない。だから、自宅では搾乳機を使って母乳を搾った。

黄疸

1984年9月16日。1保育器から出てもまだまだ順調とは言えなかった。ふたりとも肺の調子が悪かったり、黄疸だ出たりして、なかなか気を許せなかった。秀平↓良平↓

命名

1984年8月27日。予定日より約一か月早く生まれたので子供の名前はまだ考えていなかった。この日、妻のいる病室でふたりで名前を考えた。わかりやすい名前で呼び捨てにできるような名前。というぐらいしか考えていなかった。いろいろ考えてこう決めた。長男、…

保育器から出た

1984年9月9日。すでに退院した妻は、水戸の実家から子供たちのいる友部の病院へ毎日通っていた。自分で産んだ子供ながら、まだ家族一緒に暮らすことはできないのだ。子供たちが入っていたガラスの保育器は、もう必要なくなっていた。ただ、良平は肺が弱いら…

子供の誕生

1984年8月22日。 双子の息子たちが誕生した。 この年の夏、茨城の取手二高が夏の高校野球甲子園大会で PL学院を破り優勝した。 茨城の実家で出産準備をしていた妻は、 その試合をテレビで見ていて急に産気づき、 予定より一か月早く出産した。ふたりとも1750…